日々これ喩え話

2014/11/14 アラアラ?…イライラ?…ハラハラ?
小笠原諸島近海では、中国の密漁船が大量に押し寄せていて、
関東では、あちこちに小型犬が大量に捨てられているそうな。

密漁船の方は、中国で馬鹿高値がついているというサンゴのための、違法を承知の無鉄砲な漁船たちだし、
小型犬の方は、今や供給過剰で商売をたたみ、夜逃げしようというブリーダーが捨てているのではないか、という噂がもっぱらだ。

早い話が、どちらも金のための悪行なのに、取り締まる人手があまりにも足りない…という成り行きのようだ。

だからたいていの人は、
ニュースを見ていて、やるせない憤りにイライラしているのではなかろうか。
お前らやめろよ、と大声で怒鳴りたいけど、
怒鳴る相手の顔もよく見えないし、論理的に怒りを積み上げていこうにも、
大義の怒り、というものがなかなか湧いて来ずに、
金の為になんてことをするんだよ、という
所詮は小悪党へのこじんまりした怒りで終わってしまうからである。

さて、一方で身近な話になるけれど、
つい先日、通勤電車内で椅子に座りながら、携帯電話で長話をしている女性を見かけました。
うら若い日本人で、ゴクゴク普通の音声、見目もシックで麗しく、会話も比較的知的なような…。周りは皆ぎょっとしているけど、注意をする人は誰もいない。くだんの女性も、周りを気にする様子は一向になくて、実に落ち着いた様子で足を組み、穏やかに話し続けている。

これもやっぱり、なんだかすごくイライラするけれど、
電車内での携帯電話はやめましょうよ、と論理を構築しながら説得するのには、
そのモチベーションの高めかたが、結構難しいのではないか、
と深く考え込んでしまったのでした。

つまりは、漠然と信じていた性善説が裏切られた…という、ただそれだけのことなのだろうけれど、
ええっと〜、と何故だかひどくうろたえながら、まずは怒りの内容を整理しようとしている自分に気づき、その器の小ささに、またイライラが積もっていくような…

それは、怒り、というよりも、
例えば、赤信号なのに平然と止まらない車を見た時に感じるような、
このまま社会の一般常識を信じ切っていて大丈夫か?というような…
不安、に近いイライラなのかもしれません。

今月のオリジナル寓話(gooido.net)は「天地の宝」。寓意堂の完全オリジナルです。

2014/10/01 人間は、考える葦(あし)なのか葦(よし)なのか…
なんだか、列島が身もだえしているような災害続きで、
荒ぶる自然の前には、人間がいかに無力かを痛感します。

おそらくは千年一日、都度都度に自然が見せてきた貌なのでしょうが、
きっと賽の目の偏りのように濃淡があって、ここ数年はその重なりが濃いのでしょう。

日々の営みの中での小さな不都合なら、
それはきっと妖怪の仕業…と、
子供たちのブームのごとくに片づけられますが、

雷神風神スサノオの如き荒ぶりには、
都度都度に死生観の有無を求められているようで、
濃淡が濃いのは今だけだと、ブームと同じにやり過ごすには、
覚悟の強さが間尺に合いません。

今や八百万の神々への畏怖は、山川草木に限らず、
地下鉄の配管にも、発電所からの電線にも必要で、
それらは、可愛げのある妖怪では済みそうにない、
文明という名の怪物ばかりです。

それでも、人は山に登るし地下鉄にも乗る。
そして原子の力で、灯りをともそうとします。

それが営みなのか、挑戦なのか、愚行蛮勇のたぐいなのか、
決めるのはけっして自然ではなく、
人間であって良いのだと、
まつろわぬ神々のごとき自然を前に、そう思ったりもするのです。

今月のオリジナル寓話(gooido.net)は「走者の姿勢」。寓意堂の完全オリジナルです



2014/09/02 氷水の臭い…
天狗熱だと勝手に思い込んでいたら、デングだそうな。
聞き慣れないのももっともで、見過ごされていたかどうかはともかく、国内感染が多数あったのは60数年前、つまりは戦後のどさくさ期以来との由。なにやら夏の亡霊のようなウィルスだ。

それにしても、地上波ニュースでの厚労省記者会見を見ていると、ひたすらパニックを恐れるような物言いと、何やら歯切れの悪い情況説明に、どこか違和感が残った。
歯に挟まっているのは、明治神宮への気遣いか、公園内のホームレス問題か、中止にできない多数のイベントや外国人を慮っての自主規制なのか。あるいは単に、情況把握が足りないといったある種の怠慢によるものなのか。

まず過不足無く現状を説明し、考えられる最悪のシチュエーションを説明し、しかし不必要に懼れる必要がないことを論理的に説明し、正確な知識と対処法を説明する。

震災で学んだはずなのに、
ニュース報道で見る限りは何やら対応が後手に回りそうな、少なくとも、不要な心配をしなくても済むような説明にはなっていなかったように思う。

違和感があれば、立ち止まって、その原因は何かを心の中で探ってみる。
経済社会の原則では立ち止まる時間は無駄でしかないのだろうけれど、
走りながらではやはり、想いが至らぬ物事もある。

違和感に向き合う…というただそれだけのことを、
やらずに、あるいはできずに、
今夏は多くの人が氷水をかぶったように見えた。
美化された流れに安易にまつろわずに、冷静なコメントを発した有名人には、心からの拍手を送りたい。

見せたくないものを隠すための糊塗にも、
〜ねばならない、という強要の美化にも、
ヘイトスピーチとデモをひとからげにして規制しようという考え方にも、
個人の思考に信を置かない、短絡的な、全体主義の臭いがある。

それは鈍感にやり過ごしていると、澱んだ水辺から蚊が湧くように、あっという間に充満する臭いだ。

今月のオリジナル寓話(gooido.net)は「虹を見た男」。寓意堂の完全オリジナルです。

2014/08/07 世紀末…と思しき夜の残暑かな
暦の上では立秋を過ぎたようですが、
この暑さは、とても残暑と呼ぶ気にはなれません。
熱いし、増水が怖いしで、おいそれとキャンプも、川遊びさえもできない激しい夏です。

ニュースで飛び交う殺人事件や暴走自動車もなにやら多くて、それはいったいどの事件だったのかと、いちいち覚えきれるものではなくなりました。
天気も社会も、とにかく振り幅が激しすぎる感があります。

不老不死の実現か、とさえ思われた最先端の科学が目指した先には、本末転倒ともいえる人間の脆さがよこたわり、
列島の熱さと雨の下には、土砂崩れを起こす花崗岩の脆さがよこたわり、
アフリカでは誰も近寄れないエボラ出血熱の患者がよこたわり、
…ということになると、
これはなにやら救いが求めづらくて、世紀末でよく叫ばれた人類滅亡の序章を地でいっているような有様です。

世紀末から15年が過ぎた残暑の中で、
神よ、と呟いて後、いったい何を願えば良いのやら。

神よ、願わくは迷える科学に導きを…などと高望みはいたしますまい。
神よ、願わくは我々にせめて、まっとうな県会議員をお与えください。
…まあそれも、高望みなのかもしれないけれど。

今月のオリジナル寓話(gooido.net)は「球根の村」。寓意堂の完全オリジナルです。

2014/07/02 3年…60年…100年
この夏は、第一次世界大戦の端緒からちょうど100年目だそうで、
日本においてはその節目の年が、60年間続いていた戦争をしない軍隊についての、憲法解釈を変える年になりました。

さて、何が道理か、を考えるときに、
自分が信じるものをいったん突き放して視座を高め、
どこまでも客観的になることは大事なことです。例えば…

人間は、実は戦争の為に生きている。

そう仮定してしまえば、この100年間の世界の在り様は、さほど違和感がありません。

政治の巧みさは、如何にその場をしのげるかで決まる。

警察予備隊は軍隊ではありません…から始まって現在まで、
米国からの注文について、それをどうしのぐかこそが問題なのであって、今の日本の外的環境を鑑みれば、この60年間で世界と国民に説明してきた内容との齟齬など、問うてみても詮無い、ということになります。

経済活動と景気回復は、日本ではどの価値観より優先する。

原発再稼働にしても、五輪招致と進まぬ震災復興にしてもそうですが、
この3年間、国民の政権選択の基準と、政府の価値基準は一貫しています。
資本主義の枠組みの中、定められた選挙制度による政治のもとで生きているのだから、まったくもって筋は通っています。

ともあれ日本は、梅雨というのに猛暑の日々。
マンゴーのようにねっとりとまとわりつく暑い空気と、スコールのような烈しい雨が降るこの梅雨は、
100年前の日本の梅雨とは大分ちがうのでしょうけれど、
空があって、雨があって、どこかで戦争があって、
だけど問題は今日の雨で、傘があったりなかったり…
そう捉えれば、100年前も60年前も3年前も今も、さほど変わってはいない。

第一次世界大戦から100年の、そんな日本の梅雨のさなかに、
「とりあえずもう一回、同じようにやってみましょうか」
と誰かが言っているような、そういう次の100年が、始まったような気がしてなりません。

今月のオリジナル寓話(gooido.net)は「宝石売りの求婚」。寓意堂の完全オリジナルです。

                      寓意堂亭主


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